「良き人生」を考える教育とアスペン精神

1. はじめに──教育実践としての「良き人生」の探究
私は現在、慶應義塾大学商学部の「英語リーディング」科目の一つとして、「The Great Quest for a Good Life: Visions and Practices for Human Flourishing」を担当している。この授業では、「良き人生とは何か」「人間の繁栄とは何か」「何を望むべきか」といった普遍的で根源的な問いを中心に、古今東西の思想、宗教、哲学、文学などを手がかりに学生と対話を重ねている。授業の構想は、私自身のアスペン・セミナーへの参加経験から着想を得ている。
教材の中心は米国イェール大学のミロスラフ・ヴォルフらによる『Life Worth Living』(Miroslav Volf, Matthew Croasmun, and Ryan McAnnally-Linz, Life Worth Living: A Guide to What Matters Most [New York: The Open Field/Penguin Life, 2023])である。本書は単なる理論書ではなく、読者自身が自らの生を吟味し、深く考えることを促す実践的な思索の書である。「良き人生」とは何か、という人生の根源的な問いに取り組もうとするとき、私たちはしばしば思わぬ難しさに直面する。たとえば「良き人生とは何か」と考え始めても、気づけば「どのようにすれば成功できるか」「どんな目標を達成したいか」といった具体的で身近な話題にすり替わってしまうことが多い。日常の忙しさの中では、そもそも自分が「何を望んでいるのか」、さらに「その望みは本当に価値あるものなのか」を立ち止まって考える機会は意外と少ない。
2. 四つの層──人生の問いに向き合う思考の構造
ヴォルフらは、こうした問いのすり替えを避けるための整理として、第一章「What’s Worth Wanting?(望むに値するものは何か?)」で、私たちの思考や行動に潜む「四つの層」に注目する。

(1) 第一層:自動運転(Autopilot)
まず、最も表層にあるのが「自動運転の層」と呼ばれる層である。私たちは日常の大半を、特に理由を意識することなく、惰性や習慣のままに行動している。仕事や家庭、日々の行動の多くが、無意識の反復によって成立している。
この状態が常に悪いわけではない。ソクラテスが述べたように、「吟味のない生というものは、人間の生きる生ではない」ことが事実だとしても、すべてを常に吟味し続けることは不可能である。
問題は、私たちがこの自動運転状態に安住してしまうことである。日々の仕事の中で「前例だから」「昔からそうしてきたから」という理由だけで繰り返される意思決定は、組織も個人も停滞させる。私たちがアスペン・セミナーで学んだように、「対話の文明」とは、まさにこの惰性に抗い続ける試みでもあるはずである。
(2) 第二層:効果性(Effectiveness)
自動運転がうまく機能しなくなったとき、私たちは「効果性」の問いを自問する。「今のやり方は効果的なのか」「より良い方法はないのか」という問いである。現代の経営論や政策論で重視される「デザイン思考」や「成果指標」も、基本的にはこの層の問いかけに属する。
この層では、改善・改革・効率化の努力が進む。企業における生産性向上やプロセス改善、個人における時間管理術や目標達成法もこの範疇である。たしかに有用であり、必要不可欠な視点である。
しかし同時に、この層は「目的についての吟味」を棚上げする傾向を持つ。仮に効率的だとしても、誤った目的に対して邁進するならば、悲劇的な結果を招きうる。たとえば、仕事の成果を効率化・最大化することだけを追求し、家族や友人との関係を犠牲にしてしまうようなケースが典型である。アスペン精神が求める全体観は、まさにこうした危うさを超えていくための道標となる。
(3) 第三層:自己認識(Self-Awareness)
さらに深く進むと、「自己認識」の問いに辿り着く。「私は本当に何を望んでいるのか」「何を大切にして生きたいのか」という内省である。ここでは、単なる目標の羅列ではなく、より包括的な人生のビジョンが問われる。
私も学生たちとともにこの問いに取り組む中で、しばしば彼・彼女らの戸惑いを目にする。社会が提示する「成功モデル」をそのまま自らの理想と錯覚していたことに気づき、初めて自分の価値観の曖昧さと向き合うのである。私自身も教員として、この問いから逃れることはできない。むしろ、学生とともにこの問いに悩むことこそが、リベラルアーツ教育の核心であると感じている。
この層の難しさは、内省が独善に陥りやすい点にある。だからこそ、多様な他者との対話が必要となる。アスペン・セミナーが「自己との対話」だけでなく「他者との対話」を重視する理由も、ここにある。
(4) 第四層:自己超越(Self-Transcendence)
そして最も深い層が「自己超越」である。「自分は何を望むか」ではなく、「何が本当に望むに値するのか」というある種の普遍的な問いである。ここでは、私たち個人の欲望や選好は相対化され、むしろ「他者」「歴史」「世界」との関係性の中で価値が吟味される。
この地点において、古今の偉大な問い手たちが再登場する。アリストテレス、孔子、仏陀、イエス、カント、ミル、ニーチェ、ヌスバウムなど──彼らは皆、この「良き生とは何か」という問いに挑んできた先達である。アスペン・セミナーで私たちが古典を読み続けるのは、こうした普遍的な問いと向き合うためであり、そこで得た洞察は、自己認識や効果性、日々の実践にも還元されていくのである。

3. 学生たちの関心とその傾向
学生たちは『Life Worth Living』の第一章を読み、「最も関心のある層を一つ選び、深く考察する」という課題に取り組んだ。回答を提出したのは、1年生40名と2年生50名である。
第二層「効果性」に関心を持った学生は1年生17.5%、2年生18%、第三層「自己認識」では1年生40%、2年生42%と大差はなかった。一方、第一層「自動運転」は1年生27.5%、2年生18%で、1年生の関心が高かった。これは、「大学合格という目標に向かってがむしゃらに努力するうちに、無意識の習慣に支配され、自分が本当は何を望んでいるのかを考える余裕がなかった」という問題意識が強く反映されているように思われる。
逆に第四層「自己超越」は、1年生15%に対し2年生22%と、上級生の関心が高かった。「自分の内面だけでなく、社会や世界との関わりを意識したい」という声が多く、学年が上がるにつれて視野が広がっていることが分かった。
4. 層を往復する生──実践としてのアスペン的対話
四つの層は単なる階段のような一方向の進化ではなく、私たちの人生において何度も行き来するものである。日々の実践では自動運転や効果性の層が不可欠であり、その中でふと立ち止まって自己認識に向かい、時には自己超越の問いに触れる。こうした往復運動こそが、柔軟で持続可能な「良き生」の在り方なのかもしれない。
アスペンは、このプロセスを支えてくれる最も力強い環境の一つである。古典を深く読み、他者と率直に語り合い、自分の思考の限界を押し広げるアスペン的対話の経験は、特に「自己認識」と「自己超越」の層を探るうえでかけがえのない力となっている。この授業を通じて、学生たちにはアスペン的な精神の一端に触れ、「良き人生とは何か」という問いと向き合う力を養ってほしい。それが私の願いである。
ランドル・ショート(Randall Short)
聖書学者・慶應義塾大学商学部教授
1970年アメリカ・アラバマ州生まれ。アラバマ大学教養学部卒業(文学士、アジア研究専攻)、東京基督神学校卒業(神学修士)、ハーバード大学神学大学院修士課程卒業(神学修士)、同大学神学大学院博士課程卒業(神学博士)。専門は聖書学、キリスト教・ユダヤ教解釈。キリスト教とユダヤ教の聖典であるヘブライ語聖書(旧約聖書)とその解釈に関して研究している。著書に『The Surprising Election and Confirmation of King David』(Harvard University Press)など。
※本記事はアスペン・フェローズ会員向けサイト「アスペン・オンライン・コミュニティ」(2025年6月23日掲載)より転載したものです。
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