「現場」に生きるはなし
2021年夏のヤング・エグゼクティブ・セミナーでは、二日目のセッション終了後、いくつかのグループに分かれてZoom懇親会が開催されました。私が入ったグループでは参加された方々が、中間管理職として、半ば「現場」を離れて働いていることへの困惑を語り合い、とても印象的な会話になりました。特に、「現場とはなにか」という問いが共有されたことは有意義でした。学問的研究をも含むさまざまな活動において、しばしば「現場主義」が標榜されているからです。
みなさんの会話を聞きながら、いろいろ大変なんですね、という型どおりの感想を抱きつつ私が思い出したのは、アルバート・シュヴァイツァー(1875-1965)の著作『文化と倫理』(1923年)です。同書には、「抽象は倫理の死である」や「疚しくない良心などは、悪魔の発明である」という強い文言が含まれます。前者は、倫理学に具体性を求める研究者の注意をひき付けるものですし、後者は、倫理的にかつ具体的に生きようとする際に私たちが葛藤を免れ得ないことを突きつける文言です。この二つの文言は、「現場」からの乖離を意識している人に、ある種のコンプレックスをもたらすものかもしれません。
シュヴァイツァーは、大学で哲学や神学を修めた後、医学を学びました。1913年にガボンに渡りランバレネで医療活動を開始し、1952年にノーベル平和賞を受賞したことは有名です。しかし、彼自身はその受賞理由を「生への畏敬」という観念を思想の世界で提唱したことだと思ったと言われます。この観念を彼は次のように説明します。「生への畏敬は、すべての存在の基礎をなしている無限の、究めがたい、前進する意志への感動である」。この観念を基軸とした骨太の倫理がシュヴァイツァーの確信を込めた文章で展開される著作、それが『文化と倫理』です。
ここで、同書の終わり近くにある文章を引用しましょう。生への畏敬の倫理は「沢山の仕事をしている人が、自分は自分の職業的活動によってすべての為すべきことを果していると考えることを許さない。この倫理は、すべての人々がその生命の一端を人々に捧げることを願う。」これは分かりづらい文章です。しかし、私たちの文脈に立ち返って読むなら、「現場」でそれぞれの職業に固有な具体的役割を果たしているだけでは倫理的に生きているとは言えず、どのような場にあっても、自分を必要とする他人に奉仕しているかどうかが問題だということかもしれません。すると問題は「現場」にいるかどうかではなく本人の生き方だということになります。いやむしろ、どのような役職にあろうと私たちの現場は生そのものだというべきでしょう。なんの励ましにもならない文章で、すみません。
*この文章中のシュヴァイツァーの文言はすべて、氷上英廣訳『文化と倫理』(『シュヴァイツァー著作集 第七巻』白水社、1957年)からの引用です。

御子柴善之(みこしば・よしゆき)早稲田大学文学学術院教授
1961年長野県伊那市生まれ。早稲田大学第一文学部哲学専修卒業、同大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。専門はカント哲学を中心とする西洋近現代哲学。カント倫理学を手がかりに現代社会に表出するさまざまな問題を考察する。著書に『自分で考える勇気――カント哲学入門』『カント哲学の核心――「プロレゴーメナ」から読み解く』『カント 純粋理性批判』など、訳書に『道徳形而上学の基礎づけ』など。
※本記事はアスペン・フェローズ会員向けサイト「アスペン・オンライン・コミュニティ」(2021年11月2日掲載)より転載したものです。
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